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福岡高等裁判所 昭和52年(ラ)63号 決定

抗告人

田辺製薬株式会社

右代表者代表取締役

平林忠雄

右訴訟代理人弁護士

石川泰三

ほか一一名

相手方らの表示は、別紙(一)「相手方ら目録」〈省略〉に記載のとおり。

右相手方ら訴訟代理人弁護士

副島次郎

ほか九二名

右抗告人らから、福岡地方裁判所昭和四八年(ワ)第三九四号、同年(ワ)第六七九号、昭和四九年(ワ)第六六七号、昭和五二年(ワ)第一九九号損害賠償請求事件について、

同裁判所が同年六月二一日になした文書提出命令申立却下の決定に対し、即時抗告の申立がなされた。よつて、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

一  本件抗告を棄却する。

二  抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

(本件抗告の趣旨及び理由)

本件抗告の趣旨は、「原決定を取消す。相手方らは、原決定に添付された文書提出命令申立書にさらに添付の文書目録中「提出を求める文書の表示」らん記載の文書(以下、単に本件各文書という。)を福岡地方裁判所に提出せよ。」との趣旨の裁判を求めるというにあり、その理由は、別紙(二)「抗告理由書(その一)」〈省略〉及び同理由書で引用している別紙(三)「文書提出命令申立書」(ただし、添付目録類を除く。)〈省略〉中の右引用部分に記載のとおりである。

(相手方らの意見)

本件抗告の趣旨及び理由に対する相手方らの意見は、別紙(四)「意見書」(ただし、添付資料類を除く。)中の抗告人関係部分に記載のとおりである。

(当裁判所の判断)

一最初に、相手方らの意見はかんがみ、本件抗告の適否について考察する。

相手方らは、文書提出命令の申立に関する決定に対して即時抗告が許されるのは、当該文書提出命令によつて文書の提出を命ぜられた第三者に限られ、訴訟当事者たる挙証者については、文書提出命令の申立が却下された場合でも、その却下の決定に対して即時抗告をすることはできないものと解すべきである旨主張している。しかしながら、民事訴訟法(以下、単に法と表示する。)第三一五条は、一般の証拠採否の決定に対しては許されない独立の不服申立を、文書提出命令の申立については特に許す趣旨で設けられた規定であることは明らかであり、本案事件の弁論終結後に申立られた即時抗告とでもいうのであれば格別、そうでないかぎり、ことさらこれを相手方ら主張のように制限して解釈すべき根拠は見出しがたい。そして、本件抗告が本件訴訟の弁論終結前に申立られたものであることは、本件記録上明らかであるから、相手方らの右主張は、採用することができない。

二進んで、本件抗告の当否について審案するに、抗告人は、本件文書提出命令の申立において、相手方らに対し、法第三一二条第一号に依拠して、本件各文書の提出を求めようとするものであるところ、同条第一ないし第三号によつて文書の提出義務を負うのは、挙証者の相手方相当事者または第三者であつて、かつ、現に当該文書を所持している者に限られることは、同条の規定に徴し、明らかである。そこで、まず、相手方らが現に本件文書を所持していると認めることができるかどうかについて判断する。

ところで、法第三一二条にいわゆる文書の所持者とは、提出を求められている文書を現実に握持している者のみに限局して狭義に解すべきものではなく、文書を他に預託した者やその共同保管者など、社会通念上文書に対して事実的支配力を有していると評価できる者をも包含して指称するものと解するのが相当である。しかしながら、他面、文書提出命令が確定した場合において、提出を命ぜられた文書を提出しなかつた相手方当事者または第三者は、法第三一六条の不利益な効果または法第三一八条の過料の制裁を免れないことにかんがみれば、文書を現実に握持していないにもかかわらず、社会通念上文書の所持者としてその提出を命ぜられるのは、当該文書をいつでも自己の支配下に移すことができ、かつ、自己の意思のみに基づいてこれを提出することができる状態にある場合たることを要するものと解すべきである。

ところが、抗告人が本件で提出を求めている各文書は、いずれも第三者たる医師の作成した診療録であるから、医師法第二四条第二項に定める保存期間内はもちろんのこと、同期間経過後においても、これが廃棄等されないかぎり、本来これを作成した医師またはその医師が勤務する病院もしくは診療所(以下、単に関係各医療機関という。)において保管しておくべき性質のものであるところ、本件記録中の、抗告会社社員作成の調査結果報告書によると、本件各文書のうち、相手方佐野ハルエ、同古賀善規、同梅崎エツ、同鐘ケ江スガエ、同坂井清、同山口、同山口豊、同龍作一、同龍ミヨカ及び同佐野滝吉(以下、単に相手方佐野ら一〇名という。)を除くその余の相手方らに関する診療録については、右その余の相手方らを診療した関係各医療機関において、現に同各診療録を保管していることが明らかである。そして、本件記録に編綴された、抗告代理人大矢勝美作成の調査結果記録書及び抗告会社社員作成の右調査結果報告書によると、相手方佐野ら一〇名に関する診療録については、昭和五二年三月ごろ、同各診療録の保管者たるべき立場にある医師平田美幸(相手方佐野ら一〇名を診療した医師平田美郎の子で、同医師の死亡に伴つて、同医師の医事業務を受け継いだもの。)から、本件訴訟における相手方ら訴訟代理人の一人である弁護士上田国広に預託されていることが認められるが、他方、当審における同弁護士審尋の結果によると、同弁護士は、本件訴訟の立法準備活動の便宜上、特に右平田美幸医師に懇請し、用ずみ次第早急に返還する約束のもとに、相手方佐野ら一〇名に関する診療録を一時借受けたものに過ぎなく、昭和五二年五月中旬ごろには、同各診療録を同医師に返還し、現在では、再び同医師において同各診療録を保管するに至つていることを認めることができる。

そうすると、本件各文書については、そのいずれもが、そらを作成した関係各医療機関において所持するものというべく、もし法第三一二条第二または第三号に定める事由がある場合には、第三者たる関係各医療機関において文書提出の義務を免れないことになる。しかし、本件記録を仔細に検討してみても、相手方らが、関係各医療機関に対して、本件各文書の引渡を求めうべき何らかの権限を有していることを首肯せしめる特別の事情の存在を窺わせる証拠資料は、まつたく発見できないし、また、前記説示したような診療録の性質からすれば、相手方らにおいて、本件各文書を提出するかどうかを自己の意思のみで決しうべき関係にないことも、明らかである。従つて、相手方らが、その独自の立場ではもちろんのこと、関係各医療機関と共同してでも、本件各文書を所持しているものということはできない。

尤も、抗告人は、相手方らは本件訴訟において本件各文書の存在を明らかにして自己の主張の助けとしながら、さきに原審裁判所が同各文書の保管者たる関係各医療機関に同各文書の送付嘱託をしたのに対し、継続的かつ統一的に、該送付嘱託に応じないよう関係各医療機関に働きかけ、その過程においては、往々にして集団的な行動にまで及んだが、原審裁判所の右送付嘱託にもかかわらず、関係各医療機関から本件各文書の送付が受けられなかつたのは、相手方らのこのような行動の結果であつて、かような相手方らの行動がなければ、当然関係各医療機関としても本件各文書の送付嘱託に応じたであろうとして、これを根拠に、相手方らが法第三一二条第一号の文書の所持者にあたる旨を主張している。なるほど、相手方らが、もしみずからが有利に引用した本件各文書の送付嘱託に対し、抗告人主張のような行動にまで及んで、関係各医療機関の意思に制圧を加え、これが訴訟資料として顕出されることを積極的に妨害したとすれば、それは、まさしく訴訟上の信義誠実の原則に違背するとのそしりを受けても、やむをえないところであり、ひいては、弁論の全趣旨の一環として、証拠評価の面で影響を及ぼすことがありうることも、是認しなければならないが、そうだからといつて、直ちに、右送付嘱託の対象となつた本件各文書につき、相手方らに所持があるとの規範的評価を与えるべきものと断ずることはできない(抗告人の主張するところは、ひつきようするに、関係各医療機関が本件各文書を任意に送付または提出するについて、相手方らにおいてこれを妨げてはならないことを求めているに帰し、たとえ、抗告人主張のように、解除条件送付のものであるにもせよ、それをもつて文書提出命令の根拠とすることには、やはり無理があるものというべきである。)。

三そうすると、相手方らは、本件各文書につき、法第三一二条第一号の文書の所持者にあたらないから、相手方らが本件訴訟でこれを引用したかどうかを検討するまでもなく、本件提出命令の申立は、失当として排斥を免れないことになる。

よつて、これと結局同一の判断を示した原決定は相当であつて、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし、抗告費用は抗告人に負担させることにして、主文のとおり決定する。

(佐藤秀 篠原曜彦 森林稔)

《参考・原決定》

(福岡地裁昭和五二年(一七)第九六六号、文書提出命令申立事件、同五二年六月二一日第二民事部決定)

申立人(被告)

田辺製薬株式会社

右代表者代表取締役

平林忠雄

右訴訟代理人弁護士

石川泰三

相手方(原告ら)の表示〈省略〉

右当事者間の昭和四八年(ワ)第三九四号、同年(ワ)第六七九号、

昭和四九年(ワ)第六六七号、昭和五二年(ワ)第一九九号損害賠償請求事件について、

申立人(被告)から文書提出命令の申立てがあつたので、当裁判所は、つぎのとおり決定する。

申立人側訴訟代理人

石川泰三外

【主文】本件申立てをいずれも却下する。

【理由】第一 申立ての趣旨及び理由〈略〉

第二 相手方(原告ら、以下単に原告らという。)の反論〈略〉

第三 当裁判所の判断

一、本件記録によれば、原告らは第三五回口頭弁論期日の弁論において、申立人(被告)田辺製薬株式会社(以下単に被告田辺という。)が提出を求める各文書について、被告田辺指摘のとおりの主張をなしていることが窺える。

二、ところで、診療録(カルテ)の記載内容のうち、キノホルム投薬の期間、量が記載されている部分について、原告らに文書提出義務が存しないことの理由は、いわゆる一号投薬証明書の文書提出命令申立に対する決定理由中に述べたのと同趣旨である。

そこでその余の記載部分(特に患者の病歴・症状経過に関する部分)について、原告らが自己の主張を担保するために引用したと評価し得るか否かについて、以下判断する。

証人本庄庸の証言によれば、次の事実が認められる。

原号各証の各一として提出されている診断書(以下、統一診断書という。)は、各患者についてのSMON診療録(同証人の調書末尾に添付されている様式のもので、以下、統一カルテということがある。)に基づいて作成されたものであるが、この統一カルテというのは、各患者が現在スモンであるか否かを診断するために福岡地区のスモン医師団(昭和五〇年一月に結成された。)が検討を重ねた結果、昭和五〇年五月に作成されたものである。この統一カルテの有する大きな特徴は、患者の神経症状を全体的にとらえることができるように構成されていることであり、これによつて、単にスモンの診断のみではなく、類似疾患との鑑別がある程度可能になるような構成がなされていることである。具体的には、統一カルテは八頁、八項目より成り、最初の病歴の項の記載は患者本人の問診によつているが、現病歴及び既往歴については一頁が割り当てられて相当具体的に記述されるようになつており、その他の項目は、現症、日常生活動作、自覚症状、検査成績、投薬証明の内容、検診医の総括意見、医師団のデイスカツシヨンの各項目であるが、前記のとおり、神経症状を主眼として詳細を検査がなされていることが窺える。なお、右診断のために、多くの患者が三ないし四日間入院した。

ところで、病歴、症状経過等に関する問診に当つて、患者の中には、発症当時の医療機関のカルテの写し等を持参した者、患者自身が作成したメモ、日記帳等を持参した者、もつぱら記憶に頼つて述べる者等種々の者がいたが、全体的には統一カルテ作成に際しては、前医のカルテを調べていない患者数が圧倒的に多いことが窺える。もつとも、スモン医師団の医師から前医に照会すると、カルテの写しが送付されて来ることもあつたようであるが、そのスモン診断に際しての基本的態度は、病歴、症状の大きな流れについては患者の供述は十分に信頼でき、必ずしもカルテを要しないという立場にあり、証人本庄庸の証言によれば、同証人自身診断をなすに際して、前医のカルテを見たいと考えたことはなかつたというのである。もちろん、病歴に関して過去のカルテに十分参考になるものがあれば、それがあるにこしたことはないが、現在のわが国の医療機関におけるカルテの記載については、期待に反するものが多く、実際参考に供し得るものはかなり数が限られるからであり、現に、前医から送付されてきたカルテの写しも診断の参考にはならなかつたというのである。そして、過去のカルテに対する医師団の他の医師の評価も概ね同様のものであつたろうと推認できる。なお、受診患者が、以前の医療機関における臨床検査に関するデータを持参した例は同証人の担当した分に関する限り、なかつたことも認められる。

ついでながら、統一診断書の末尾に参考資料として記載されることのある統一医師団以外の医師の診断というのは、当裁判所に追加提出された原号各証から一見して明らかなように、スモンである旨診断する旨の簡単な記載のものが殆どであつて、前記証人の証言によれば、過去に他の医師がその患者に対してやはりスモンという診断を下したという事実も一つの参考としたという趣旨で掲げられているものである。

次に死亡患者について検討するに、栗原義一及び山本太良治については剖検記載が提出されているのみであつて、カルテの引用を云々する余地はない。田中小一については、生前に本庄医師が診断したが、前述のとおり、カルテの写しが前医より送付されてきたが、特に参考とはならなかつたというものである。

芳野カヨノ及び西林清人については、診断意見書作成者たる医師が、いずれも昭和四一年に自ら直接診察したことがある患者であつて、右診断意見書作成に際して当時のカルテが参照されたであろうことは十分推認できるが、カルテの存在が右意見書の証拠価値(特に、病歴、症状の記載の真実性)に影響を及ぼすものとは考えられない。又、佐野瀧吉についても、診断書作成者は主治医であり、同様のことが言える。

以上によれば、原告らは、その訴訟活動においては、過去のカルテの有する意義は小さいとの評価に立つて主張、立証をなしていることが窺えるのであり、被告田辺主張の如く、統一診断書は診療録に基づいて作成しているが故に信用性が高いと積極的に主張しているものとは認められない。

結局、原告らの前記主張をもつて、原告らが診療録(カルテ)を引用したものと解すべきではない。

なお、原告らが診療録を「所持」しているといえるか否かにつき付言するに、民訴法三一二条一号にいうところの文書の所持者には、文書を現にその手裡に所持していなくても、いつでも事実上これを自己の支配に移すことのできる地位にあるものも含まれると解すべきことは、被告田辺の主張するとおりである。しかしながら、診療録は医療機関の所持するところであつて、一般に患者である原告らであつても容易にこれを入手し、また裁判所への提出・不提出を医療機関に代つて決定し得る立場にないことも明らかである。

ところで、当裁判所は本件につき被告らの申立てによりさきに診療録の送付嘱託を決定したのであるが、医療機関にその送付方を依頼するにあたり、このスモン訴訟において患者原告らのプライバシーをどのように考えるべきか、それを考慮してもなお送付を委嘱する必要性があることを述べた。にもかかわらず、遂に医療機関の賛同を得られずその送付を受けることができなかつた。医療機関においてこの診療録の不送付を決定するについて、他にも種々の配慮がなされているであろうが、とりわけ原告患者らの意向を十分に考慮したであろうことは推認に難くない。しかし、そのことは医療機関と患者との関係を思うとき至極当然のことであり、それだけでもつて診療録の提出の可能性がもつぱら原告らの意思にかかつているということはできない。

そして本件の場合、被告田辺から提出された各資料に双方の主張など弁論の全趣旨を合わせると、被告田辺の主張するように若干の医療機関において、診療録を送付しないよう訴えに赴いた患者らと医療機関関係者との間に、見様によつてはトラブルともいえる事態が惹起したことも一概に否定できないようであるが、実態は必ずしも明白でなく、そのことからただちに、当該医療機関関係者がこれによつてその自由意思を抑圧され、患者らの同意・不同意にかかわりなく送付嘱託に応ずる意向に応ずる意向であつたのが急拠これを変更したことまで速断することはできず、また、現に提出されている資料だけから、診療録の不提出を決定したすべての医療機関が、原告らの反対を唯一の根拠とし、原告らの強い反対を押し切つて診療録を提出した場合の紛争を慮つて不提出という態度に至つたものであるとの被告田辺の主張を直ちに肯認することもできない。

とすれば、このような原告らと医療機関の関係を目して、診療録が原告らの所持と同一に評価し得る状況にあるとは認め難く、その点被告周辺の主張には賛同できない。

結局、被告田辺の申立にかかる各文書は民訴法三一二条一号の文書に該当しないから、原告らはこれについて文書提出の義務を負わないと解するのが相当である。

三、よつて本件文書提出命令申立てはすべてこれを却下することとし、主文のとおり決定する。

(権藤義臣 簑田孝行 古賀寛)

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